

第42回お久しぶりでございます。チョイトご無沙汰してしまいましたね。ウカウカしている内に、あっという間に年の瀬なのでございます。ここのところ、ずっと体調を崩しております。若い頃でしたら、ちょっと体調を崩しても1日2日でシャキーン!と復活したものでございますが、年を取るとだめですねぇ。なかなか復活いたしません。集中力が沸かないままグズグズしておりましたら、けっこうな月日が経ってしまったのでございます。で、前回は何をお話したかというと、その「若さ」がテーマでございました。皮肉なものでして、若いうちには自分の若さを実感できない、というか、空気や水のように当たり前だと思っている。そして、若さを失ったとき初めて、その“若さ”の何たるかを知る。う~ん、人生は奥が深いのでございます。
それでですね、若さを失った人が取る行動は? と申しますと、そう、それは「若作り」でございますね。若くありたい、若く見られたいというのは、ニューハーフのみならず、人としての永遠のテーマなのでございます。前回のテーマの「若さ」は、どちらかというと若い人向けのお話しでございました。しかし、若い人だけにお話しするというのは片手落ちでございます。そこで今回は、若くない人向けに「若作り」のお話しをするのでございます。あぁ、自分の発した言葉がそのまま自分に跳ね返ってきそうなテーマでございますが、では、始めましょうか。はじまり、はじまり~。
お店に入店してくる新人で、時々、若いのに地味な服ばかりを着ている人がいたりいたします。飲食店のような派手な世界を経験せず、一般社会であまり目立たないように生活してきたりすると、それが一因になっている場合がございますが、若い人が地味な服を着ているのは、実にもったいない。そのような新人には、つとめて派手な服を着るように勧めたりしております。体に纏(まと)う派手な色に引っ張られて、性格や立ち居振る舞いまで若々しくなることもございます。「形から入る」なんて言葉がございますが、まず「外観から入る」ということも、それなりに有効なのでございます。
では、若作りするためには、原色系の派手な服を着れば良いのでしょうか。さぁ、そこで、俗に言う「オバサン・オバチャン」と言われている人を思い出して下さいませ。関東よりは、むしろ関西のオバチャンを想像していただいた方がよろしいかと存じます。関西のオバチャン、実に派手な服を着ていらっしゃいますよね。しかしながら、派手な服を着れば着るほど、“若さ”ではなく“オバチャン色”が強くなっていく。はてさて、何が違うのでございましょう? 実は、若々しい派手な服を着るためには、その派手さを支える「心」が必要なのでございます。心はオバチャンのまま派手な服を着ていると、そのアンバランスさがオバチャン色として現れてしまうのでございます。ここで、ワタクシ得意の、いつもの断言をしちゃうのでございます。
お客様は「若い人」ではなく、「若い人の心」を求めている
お客様の中には、とにかく若い人を好まれる方も多いものでございます。そのようなお客様の気を引こうと思って、ヘヤースタイルや化粧、衣装などに若々しさを演出する人もございましょう。その場合に、肝に銘じておかなければならないのは、お客様が真に望んでいるのは、外観のルックスの下に隠れている「若い心」だということでございます。もし、外観ばかりを若々しくしても、それを支える若い心がないと、先ほど申し上げたようなオバチャン色が出てきてしまう。さぁそこで、先ほど、若い人は派手な服を着ることで心も若々しい方向に引っ張られると申しましたが、こと「若作り」の場合は逆なのでございます。で、ふたつ目の断言。
まず「心」ありき。その心に引っ張られて外観が整っていく
重要なのは「心」。若い心を持つことをまず第一とし、その心に引っ張られるように外観が整っていくべきなのでございます。なぜ「心」が重要なのか? それは、心が若いことによって、目配りや立ち居振る舞い、話し方やその話題などに若さが出るからでございます。そう、外観の若さではなく、内面からにじみ出るような若さこそが、真の「若作り」なのでございます。この理屈を追及していきますと、もはや外観の若さは必要なくなってくる。ほら、見た目はすごいおばあちゃんなのに、雰囲気などが激しく若々しい“スーパーおばあちゃん”が時々いらっしゃるでしょ。そういった人も、心が若いゆえのその雰囲気なのでございます。
さて、心、心と連発しておりますが、じゃぁ、その「若い心」というのはどうするんだ? ということになってしまいます。若い心とは何なのでございましょう。そこで、実際の若い人が自分の若さをどう思っているかに注目するのでございます。冒頭で述べましたように、若いうちは自分の若さを全く実感していない。まるで水や空気のように当たり前のものと思っている。そう、そこでございます。と、ここで三つ目の断言。
年齢を意識した時点で、若作り失格
若い心というのは、自分が若いということさえ忘れているのでございます。自分が今いくつなのかなんて、全く気にしていない。そこに若さがあるのでございます。一方、少しでも自分の年齢を意識したり「若く見せなきゃ」なんて思った時点で、若い心を失うのでございます。余談ですが、仏教的な「無の境地」にも、同じように通ずるものがございます。無の境地、つまり何も考えないというのは、本当は実に難しい。何も考えていないようでも、「あ、今、何も考えていないな」と思った瞬間に、それは無の境地では無くなってしまうからでございます。若い心も同じ。年齢や若さに関し、「何も考えない・気にしない」という状態が、真の若さに通ずるのでございます。
真の若作りというものが、分かっていただけましたでしょうか? そこで、先ほどのひとつ目の断言に戻るのでございます。お客様は、なぜ、若い心を求めるのでございましょうか? それは、お客様も若返りたいからでございます。「あ~、この子と話をしていると、自分も若返るなぁ」とか、「この子の無邪気さに触れていると、今日のストレスが解消されるなぁ」とか、ニューハーフの若い心でリフレッシュしたいからなのでございます。でも、「それじゃぁ、本当に若い人には、かなわないじゃないですか」と言われそうですよね。そこで最後の断言。
”若さ”と“幼さ”は、別物だと悟れ
確かに、本当に若い人には自然に備わっている若さがございます。ところが、そのような人には、若さと同時に「幼さ」も同居しているのでございます。この「幼さ」、別の言い方をすると、「経験不足」とも言えますし、「向こう見ず」という要素もございましょう。実年齢が若いということは、年配者がどうやってもかなわないアドバンスがございます。しかし、その実年齢の若さには、人生経験の少なさからくる、危なっかしさも同居するのでございます。逆に、多くの経験を積み重ねた人には、物事を先読みする能力がございます。フィードバックならぬ「フィードフォワード」という能力でございますね。また、不測の事態に対応出来るのも、心の引き出しが多い人ならではでございます。
そう考えると、“年を取る”というのも、まんざら悪いことばかりではないですよね。年齢を重ねた人でしか出来ないこと、心の引き出しの多い人でしか感じられないこと、そういうことはいっぱい有るのでございます。そのような経験豊かな人が、今回申し上げたような「真の若作り」を身につけたとしたら、そう、もうね、鬼に金棒なのでございます。年を取ると、年を取ることの欠点ばかりが気になったりいたしますが、素晴らしい利点もあるのでございます。そう、そのような物事のプラスに目を付け、プラス思考で考える、これも、やはり若い心なのでございます。
さてさて、「真の若作り」、いかがでしょうか。「若い心」というのがなかなか難しいかも知れませんね。芸術家の方などは、年齢の割には心が若い人が多いものでございます。指揮者の小澤征爾さんは、70代半ばというのに、まるで少年のような顔つきをする時がございます。もしかしたら、「常に人を感動させたい」と思い続けることが、心の若さの秘訣なのかもしれません。客商売も同じように、お客様を感動させるお仕事でございます。ひとりひとりのお客様に対し、「あぁ、このお客様に感動してもらおう」と真摯に思い続けていると、いつのまにかご自身も若返っているかも知れませんよ。
と、いうところで、今回はこの辺で。更新期間が空いてしまい、申しわけございませんでした。では、次回をお楽しみに、名古屋薫でございました。良いお年をお迎え下さいませ。

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